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メディアが映したGS(グループサウンズ)
第01回 明星臨時増刊号「グループサウンズがやってきた」(1968年4月)

 
 皆様、今晩は。
 またまた、大変に間が空いてしまいましたけれども、本当に久しぶりの企画ページであります。
 昨年(2009年)の夏に、「長岡厚生会館物語」という新企画を立ちあげさせていただいた後、8月に長岡へ帰省した折に、更地になった現場へ足を運んだり、図書館へ行って関連資料を集めたりして、その第2回のページを作らせていただくつもりだったのに、ただただ忙しさに埋没する日々が続いて年が変わってしまいました。
 本来であれば、そちらのページの更新を優先すべきところでありますが、こちらの企画ページも、もともと2010年が明けたら早々に作らせていただこうと考えていたものだったこともあり、今後は、2つの企画ページを並行して更新させていただくことをお約束して、今回は、「メディアが映したGS(グループサウンズ)」という新企画を優先させていただく次第です。
 さらに、言い訳を書き連ねることをお許しいただきますと、実は、昨年の夏の甲子園で新潟県代表の日本文理高校が、県高校野球史上初となる決勝進出を果たした上に、9回表に二死ランナーなしツーストライクという土壇場から大量得点差をあわや逆転という粘りをみせたのに大感激しておりましたので、年末には「60年代通信的2009年10大ニュース」というコーナーを急造し、「日本文理が夏の甲子園で準優勝」というニュースを輝く第1位として、新潟県の地元紙であります新潟日報の紙面を通じ県民の興奮と感動を再現させていただこうとも思っていたのですが、それも、叶わないまま、現在にいたっております。
 この日本文理高校の快挙につきましても、何れ、機会を見つけてページを作らせていただこうと思っておりますので、併せまして、よろしくお願いいたします。
 ということで、毎度のことながら、余計な能書きが非常に長くなってしまいましたけれども、新企画「メディアが映したGS」の本論に入らせていただきたいと思います。  このホームページ「60年代通信」でも、これまで、色々な形でGSを取り上げさせてきていただいておりますけれども、また、敢えて、この時期にGSをテーマとする新企画を立ち上げさせていただくのには、いくつか理由があります。
 まず、その一つ目は、ブルーコメッツ井上忠夫さんが亡くなられてから、今年=2010年が満10年という節目の年に当たることです。2000(平成12)年5月に井上忠夫さんが急逝されてから、今年の5月で満10年が経過することになるわけで、この機会に、井上忠夫さんの音楽にとっての原点とも言うべきGSを振り返りつつ、井上忠夫さんの足跡も、併せて、辿らせていただくことができればと考えさせていただいたわけであります。
 二つ目は、昨年の秋にザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦さんが亡くなられた時に、改めて、年号が「平成」に変わって20年以上が経過する中で、「昭和」という時代が加速度的に歴史の彼方に遠ざかっていくことを実感しつつ、その「昭和」という時代を彩った音楽の一つとしてのGSも歴史の中に埋没していくのだろうということに思いをいたし、GS大好き少年だった僕自身としても、何とか、もう一度、あの昭和40年代の初めに日本中を熱狂させたGSというものの存在をインターネットの世界で再現させていただくことができればとも考えたような次第です。
 そして、三つ目は、直接的にGSとは関係ありませんけれども、僕も50代の半ばに入ってきて、自分に残された時間を考えると、それでなくとも厳しい時代に入っているのに、フリーランスという立場で家族が生活していくための収入を確保するために、ひたすら仕事をしなければならないという状況の中で、ただただ忙しさに埋没するだけの日々を送るだけでなく、自らのライフワークという意気込みで13年前に開設させていただいた「60年代通信」というホームページを、何とか当初の目標に近い形のものにしていくための作業を地道に積み重ねていくという努力を再開しなければと、改めて、思い直すにいたったわけであります。
 じゃ、その「当初の目標って、一体、なんだ?」ということになるわけでありますが、ここ数年にわたって、データ更新が停滞しまくっているという状況の中で、自分でも、その「当初の目標」が何だったか忘れてしまいかねないような事態に陥りつつありますけれども、少なくとも、目標の一つとして、インターネット上のホームページというサイバースペースに、60年代当時の時空を再構築し、若い世代の皆さんや後世に伝えていくという荒唐無稽かつ無謀ではありますけれども意欲的かつ野心的ともいうべき試みに挑戦するという壮大なミッションがあったわけでありまして、その目標の一つを改めて具体的な行動に移すに当たり、この不埒で無節操なサイトの主宰者が、当面のモチベーションを維持していくためにも、この「60年代通信」の原点の一つでもあるGSをテーマとする新しい企画ページを立ち上げさせていただこうと考えさせていただいたのでありました。
 そして、先程も書かせていただいたきましたけれども、井上忠夫さんの没後満10年という節目を迎えた年に、加速度的に時代の彼方へ去っていこうとしている「昭和」という時代の一時期を彩った、あの狂乱のGSブームを「60年代通信」というホームページ上で再現させていただく手法として、この企画ページのタイトルにある通り、雑誌や新聞・ラジオやテレビなど、GS全盛期だった昭和40年代の前半に代表的なメディアにGSがどのように取り上げられ、映し出されていたかという視点を用いさせていただき、この企画ページ作りを進めさせていただこうと考えさせていただいたような次第であります。同時に、当然、新潟県長岡市という一地方都市で少年時代を過ごしていた僕にとって、なかなか実際にGSを生で見聞する機会というのは非常に少なかったわけで、当然、リアルタイマーと言いながらも、レコード以外にGSの音楽や情報に接する手段というのは、『月刊平凡』や『月刊明星』をはじめとする雑誌や新聞、ラジオやテレビがほとんどであり、そうしたメディアを通じて僕らが体験した興奮を再現することができればという思いもあったりしております。  「本論に入らせていただきます」と書かせていただいてから、その導入部分も、また、とんでもなく長くなってしまいました。
 ようやく、本当に、本論に入らせていただきます。



  
  
 この企画ページの第1回で取り上げさせていただく記念すべき、そして、栄えあるメディア第1号は、『明星臨時増刊号/グループサウンズがやってきた』(1968年4月号)であります。
 これは、GS大好き少年だった僕が初めて買った、いわゆる“GS特集本”でありまして、僕にとっては、その後のGS人生におけるバイブル的な存在となった記念碑とも言える雑誌です。
(ここまでは、1月20日にテキストだけ打ち込んであったのですが、その後は、仕事に埋没して時間がとれず、1月30日の深夜になってから、続きを打ち始めています)
 表紙に「1968 4」という数字が書かれていることからも分かるように、この臨時増刊号が発行されたのは1968年4月でありまして、タイガースによる明治チョコレートの広告が掲載されている表4の奥付部分には「昭和43年4月5日発行(毎月1回1日発行)」と印刷されていますから、この臨時増刊号は『週刊明星』ではなく『月刊明星』の臨増として発行されたものだったようです。
 『月刊明星』の臨増だったということは、奥付は「4月5日発行」となっておりますが、毎月の号は確か前々月の27日の発行、つまり4月号なら2月27日の発行だったと記憶しておりますので、この臨増『グループサウンズがやってきた』の場合、奥付によれば、「4月1日」ではなく「4月5日」の発行ということですから、実際には3月の初めに発行されたものではないかと思われます。僕自身の記憶でも、当時は冬に沢山の雪が降っていた新潟県長岡市で小学校6年生だったわけでありますから、まだ寒い時期に本屋さんの店頭で見つけたように覚えています。
 昭和43年の3月初め頃なら、各GSのヒット曲で言えば、この臨増の表紙を飾ったジュリーがリードボーカルだったザ・タイガースは「君だけに愛を」、ジャッキー吉川とブルーコメッツは「こころの虹」、田辺昭知とザ・スパイーダースは「いつまでもどこまでも」、ザ・ワイルドワンズは「愛するアニタ」、ザ・ヴィレッジシンガーズは「好きだから」、ザ・ジャガーズは「マドモアゼル・ブルース」、ザ・カーナビーツは「泣かずにいてね」などがシングル盤としてヒットチャートを賑わしていたはずであります。
 ちなみに、手元にある『オリコンチャート1位ヒットソング集(上)』によりますと、昭和43年2月26日付のベスト10は、1位=恋のしずく(伊東ゆかり)、2位=帰ってきたヨッパライ(ザ・フォーク・クルセダーズ)、3位=ケメ子の歌(ザ・ダーツ)、4位=マサチューセッツ(ザ・ビージーズ)、5位=こころの虹(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)、6位=ケメ子の歌(ザ・ジャイアンツ)、7位=君だけに愛を(ザ・タイガース)、8位=乙女の祈り(黛ジュン)、9位=虹色の湖(中村晃子)、10位=命かれても(森進一)というランキングとなっています。
 ちょっと脱線しますが、この10曲を眺めてみると、「ケメ子の歌」が競作となっていたザ・ダーツとザ・ジャイアンツが3位と6位でベスト10に同時にランクインし、しかも、前週まで6週連続の首位を維持していた「帰ってきたヨッパライ」が2位にとどまっていますから、なんと、チャートの上位10曲のうち3曲までがナンセンスソングだったことになるわけであります。さらに、8位の「乙女の祈り」と9位の「虹色の湖」は紛れもないGSサウンドの佳曲でありますから、当時のカテゴライズでGSで括られることも少なくなかったフォークルと、僕の括りの中ではザ・モンキーズなどとともに「外国GS」だったビージーズなども無理やりGS扱いしてしまうと、正真正銘(?)のGSであるブルコメとタイガースも合わせ、なんと、上位10曲中8曲までがGSサウンドの曲だったことになり、改めて、当時のGSブームの凄まじさに思いをいたさざるを得ません。そういう中で、堂々1位を獲得した「恋のしずく」の伊東ゆかりさんと10位に食い込んでいる「命かれても」の森進一さんは、何とか歌謡曲あるいは演歌の牙城を守っていたという意味で「アンタはエライ!」ということになりそうです。
 話を本線に戻しますと、残念ながら11位以下がどうなっていたか分かる資料は手元にありませんけれども、恐らく、ワイルドワンズ、ヴィレッジシンガーズ、ジャガーズ、カーナビーツなどは、ベスト30以内に名前を連ねていたのではないかと思われます。  この後、3月から4月にかけて、ヴィレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」やスパイダースの「あの時君は若かった」、タイガースの「銀河のロマンス/花の首飾り」、ワイルドワンズの「バラの恋人」といったいかにも陽春の華やぎと明るさを感じさせる楽曲がチャートを急上昇していくことになるはずであります。
   
 毎度のことながら、いちいち能書きが長くなっておりますが、臨時増刊号の表紙は、既GSを代表する人気者として押しも押されもせぬ地位を築いていたジュリーで、表紙をめくると、また巻頭カラーグラビアページの最初にジュリーが登場して、涙を流しちゃったりしているわけであります。添えられたコピーは、大ヒットしていた「君だけに愛を」の歌詞である「あたたかーいハートに タッチしーたーいー」の「あたたかいハートに触れたとき…沢田研二」ということになっております。  ジュリーの顔を切り取った2つの円の下には「HEY HEY ………………」「グループ・サウンズがやって来た」という文言が書かれており、僕は、この臨時増刊号を買った当時から、今の今まで、この文言の意味合いは、さきほども書かせていただいたように、いわゆる社会現象と言えるほどのブームを巻き起こすことになるグループ・サウンズの「一大ムーブメントがやってきた」ということだと何の疑いもなく思ってきていたのでありますが、改めて、この臨時増刊号を約40年ぶりに手にしてみて、あるいは、そういう意味も込められていたのかもしれませんけれども、もっと単純に、物理的に「やってきた」という意味合いだったのではないかと思い始めております。そのことは、このカラーグラビアぺ―ジと次回のモノクログラビアページを順を追ってみていくと、ごく自然に理解されるはずのような気もしますので、やっぱり、僕は、子どもの頃から思い込みの激しい人間だったのだということを、今更ながらに、思い知らされたりしています。
 さて、表紙の裏の部分、いわゆる表2はコロンビアレコードの広告でありまして、GSのアルバムでは初の画期的なコンセプトアルバムとしても評価の高い「ヨーロッパのブルーコメッツ」、ブルコメのヒットシングル「こころの虹」とヴィレッジの新曲「亜麻色の髪の乙女」、そして、ヴィレッジのアルバムが宣伝されています。「カラー10頁中とじ 豪華見開きジャケット」と謳われている30cmLP「ヨーロッパのブルーコメッツ」は1900円、「大賞コンビによるブル・コメの最新盤!!」「好調、ヴィレッジが放つニューヒット!!」のコピーが躍るシングル盤は、それぞれ、370円です。3月10日発売のヴィレッジのアルバムには、「ヴィレッジのすべてを収めた魅力のLP!!」のコピーが添えられており、収録曲としては「バラ色の雲/瞳を閉じて/君を求めて/好きだから/ブルー・ロビン/亜麻色の髪の乙女/暗い砂浜/風の中の瞳/想い出は僕の胸に/海へ行こうよ/輝く星 他」となっていますので、あるいは、これがヴィレッジのファースト・アルバムなのかもしれません。
   
 巻頭カラーグラビアページの1ページ目を飾ったジュリーをめくると、黒い煙と白い蒸気を吐き出しながらシュッシュッポッポと力強い音が聞こえてきそうな蒸気機関車をバックに、北海道の大地に颯爽と立つブルコメの5人のメンバーが登場します。  「ブルーコメッツ/北国の冬を破って春へ」という見出しの下には、「機関車が黒い煙をはいて 力強く北国の暗い冬を破った」「ブルーコメッツの5人の瞳には もう春が見える」「どこからともなく美しいハーモニーが聞こえてくるような やさしいふんい気が感じられる」「グループサウンズの王座を守る余裕が またすばらしいヒット曲を生み そのときホントの春を告げるだろう」という、なんだか分かったような分からないような文章が添えられております。  実質的なデビュー曲である昭和41年の「青い瞳」からラストシングルとなった昭和47年の「雨の朝の少女」に至るまでのブルコメによるシングル盤の歴史を辿ると、そのピークが昭和42年9月に発売された「北国の二人」であったことは、恐らく衆目の一致するところではないかと思いますけれども、「ブルー・シャトウ」でGSとしては唯一のレコード大賞を獲得し、「こころの虹」が余裕でベスト10入りをしていたわけですから、「グループサウンズの王座を守る余裕が またすばらしいヒット曲を生み」というような文章は、この時点では、決して誇張などということでもなかったのだろうと思います。実際に、「こころの虹」の後の2枚のシングル「白鳥の歌」と「草原の輝き」は、どちらも、最高位15位とチャート的には伸び悩んだものの、歌謡曲路線への分岐点として賛否両論が分かれた「さよならのあとで」はチャートの3位にまで上昇し、ヒット曲を送り出すパワーが健在であることを示したのも事実だったのであります。  それにしても、翳りも気になり始めた頃とは言え、いわゆる人気の絶頂期というべき時期だっただけに、三原綱木さんをはじめメンバーの皆さんの表情は、スターが放つ独特の輝きというかオーラのようなものも感じられるような気がするのは、僕だけでしょうか。高橋さんとジャッキーさんは、横向きだったり後ろ向きだったりしてますけど…。

   
 ブルコメの次の見開きでは、右ページにザ・テンプターズ、左ページにザ・スパイダースが登場しております。この時期は、スパイダースに見出されたテンプターズがスパイダクションに所属していた頃でしょうから、あるいは、明星編集部に対して「スパイダースの見開きはいいから、テンプターズに1ページちょうだい」というようなことだったのかもしれません。  テンプターズがチャート1位になって全国区で大ブレークし、タイガースと並び称されるようになった「エメラルドの伝説」が発売されたのは、この年の6月のことでありますから、僕の記憶でも、「神様お願い!」がヒットしていたとはいえ、この時点では、まだ、テンプターズは、最近出てきた新興グループという印象だったものであります。  そのテンプターズのページの見出しは、「ディスコから来た若い友だち」ということで、僕は「ディスコ」という言葉はこの記事で初めて知りましたし、大宮のディスコに出演していたテンプターズに声をかけたのがスパイダースだったというような記事も、この前後で読んだように覚えています。  ちなみに、このページの文章は、次のようなものでした。  「かれらはディスコテックからやってきた」「若い仲間たちがゴーゴーを踊りやすいような演奏が得意だった」「田辺昭知にスカウトされ かれらはホントのプロになった」「まだ平均年齢18才の若者である GSの新人でもっとも期待されている」  この僅か数カ月後には、「エメラルドの伝説」の大ヒットにより、タイガースと並び称される人気グループとして急速に台頭するわけですから、この記事は「先見の明」があったということになるのでしょうか。  いや、もし、僕の想像通り、「スパイダースは見開きいらないから」説が正しいとすれば、この記事ではなく、後に田辺エージェンシーの大社長として“芸能界のドン”と呼ばれるまでになる田辺昭知さんの眼力こそ、感嘆すべきなのかもしれません。  そして、見開き左ページが、そのザ・スパイダースであります。  「サウンド・グループの帝王/ザ・スパイダース」という見出しに続く文章です。  「さあ ことしは楽しいヒット曲を出そうかな 田辺リーダーはそう考えた」「すると『いつまでも------』が生まれ 新曲『その(ママ)とききみは若かった』ができた」「実験するときは実験しヒット曲を作るときは作る 帝王の貫録である」  次回で紹介させていただくモノクロ・グラビアページには明記されているのですが、このスパイダースの皆さんがカンジキなどを履いている写真の撮影場所は、僕の故郷である新潟県長岡市であります。しかも、この時に長岡厚生会館で行われたステージを僕は同級生2人と一緒に見ておりまして、それが僕の記念すべき生GS初体験でありました。その時のことは、次回のモノクロ・グラビアを紹介する際に詳しく書かせていただくことにします。それはともかく、この臨増の編集時点では、「あのとき君は若かった」のタイトルは「そのとき君は若かった」だったようで、「あのとき君は若かった」が3月の発売だったことを考えると、やはり、この臨増の発行は2月末くらいだったものと思われます。実は、ブルーコメッツの「こころの虹」も、臨増が発行される前の『月刊明星』昭和43年2月号のグラビアページでは「虹を求めて」というタイトルで紹介されていたのを覚えていますから、この頃の曲タイトルは、発売直前に変更されることも珍しくなかったということなのでしょうか。あるいは、今でも、曲タイトルの扱いというのは、そんなものなのかもしれませんけれども…。  何れにしても、大雪が珍しいのか、スパイダースのメンバーの顔が、本当に楽しそうであります。マチャアキの履いている膝当て付きズボンも、カンジキのイメージとぴったりで、絶妙の雰囲気を醸し出しているような気もしたりするわけです。

   
 そして、最後の見開きページで登場しているのが、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズであります。
 ちょうど「愛するアニタ」が大ヒットしていた時期でもあり、カラーグラビアページには「アニタは海のかなたに」という見出しが付けられ、歌詞をそのまま借用した書き出しに続いて、次のような文章が添えられています。
 「おお かわいいアニタ 海を見ているとおまえを思い出す」「ぼくらはみんな海が好きだ ことしこそはヨットを買おうと話し合っている」「新しく仲間になった渡辺も海が好きだというので みんなおおよろこびだ」「歌のほうでもメンバーが増えたことで いろんな試みができる」「これからのワンズは なんだか大きな飛躍がありそうで ぼくらはガゼンはりきている 新曲の準備ももうできた」
 この文章にもある通り、ワイルドワンズは「愛するアニタ」まではオリジナルメンバーである加瀬邦彦さん、鳥塚繁樹さん、植田芳暁さん、島英二さんの4人のグループでしたが、昭和42年1月に渡辺茂樹さんが加わって5人となったのでありました。
 チャッピーと呼ばれることになる渡辺茂樹さんは、昭和43年1月の日劇ウエスタンカーニバルでワイルドワンズの一員として正式にデビュー。この文章にも「新曲の準備ももうできた」書かれている「バラの恋人」(昭和43年4月リリース)では、なんと、リードボーカルまで担当し、ワイルドワンズとしてはオリコン・チャート史上最高位となる6位まで上昇した「バラの恋人」の大ヒットで、渡辺茂樹さんはタイガースの沢田研二さん、テンプターズの萩原健一さんとともに「ジュリー、ショーケン、チャッピー」と並び称されるGS界の3大スターの一人となっていくわけであります。
 この臨時増刊号を買った頃の僕の中でのGS認識度というのは、人気の面ではタイガースが他のグループを凌駕してGSを代表する存在になったものの、キャリアや実力などの面では、ブルコメとスパイダースが東西の横綱級で、ワイルドワンズやヴィレッジシンガーズ、ジャガーズやカーナビーツといったグループがブルスパの2グループに続き、さらに、テンプターズが先行グループを急追するというようなイメージでありましたから、巻頭のグラビアページにタイガース(ジュリー)、ブルコメ、テンプターズ、スパイダース、ワイルドワンズが順に登場してくるという構成は、そのイメージとほぼ重なり合っています。
 というか、冒頭にも書かせていただいた通り、恐らく、僕が自分のお金で初めて買ったGS本、というより、臨時増刊号ではありますけれども、初めて自分のお金で買った芸能雑誌ということだったのではないかと思いますので、あるいは、このグラビアを見た時の印象が僕のGS認識の形成に大きな影響を与えていたのかもしれません。
 ということで、久しぶりの企画ページ「メディアが映したGS(グループサウンズ)」第1回は、昭和43年4月5日付で発売された『明星臨時増刊/グループ・サウンズがやって来た』の巻頭カラーページを紹介させていただきつつ、当時を振り返らせていただきました。
 久しぶりの企画ページが、いきなり、とんでもない長文になってしまいましたけれども、最後までお読みいただきました皆様、どうもありがとうございました。
 次回は、同じ臨増のモノクロ・グラビアページを紹介させていただく予定ですので、乞うご期待!!!、と書かせていただきつつ、データ更新がいつになるのか自分でも心許ない状況ではありますけれども、何とか、2月中には実現できるように頑張りますから、皆様におかれましては、あまり当てにしないで、気長にお待ちいただければと思います。
 それでは、皆様、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
(更新日:2010年1月31日)

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