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「60年代通信」スペシャルレポート
“「平凡アワー」スペシャル
〜輝け!青春の歌謡コンサート2006ファイナル”
その2
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皆様、こんにちは。
一週間の御無沙汰でした…と書かせていただきたいところでありましたが、前回(2007年01月08日)、この「平凡アワー」レポートの1回目のページをアップさせていただいてから、あっという間に1カ月近くが過ぎてしまいました。
「1カ月の御無沙汰でした」ということになるわけでありますが、これまでのデータ更新の停滞ぶりから、前回の最後に「また、改めて報告させていただくことにします」などと書かせていただいたものの、「いい加減なヤツだから、『また、改めて』とか書いてやがけど、次回のレポートなんて、いつになることやら」と思われた方も多くいらっしゃったのではないかと思いますが、実は、僕自身も、そう思っていたわけでありますが、皆様と僕自身の予想を裏切って、なんと、1カ月というインターバルで、続編レポートをアップさせていただくことになるわけであります(パチパチパチ、と一人で虚しい拍手をする馬鹿オヤジ…)。
前回は、出演者が順に紹介されたオープニングの部分を紹介させていただきましたが、その際、ひとつ、大事なことを書き忘れておりましたので、そのことから始めさせていただきます。
オープニングのテーマ曲である「花をめしませ ランララ…」という美空ひばりさんの「ひばりの花売り娘」の音楽が聞こえてきた時、当時のイメージが甦ってきた僕は、当然、ビッグバンドの演奏だろうと思い、久しぶりに懐かしいビッグバンドの伴奏での歌が聴けるものと明るくなったステージの上に目を凝らしてみたら、いわゆるコンボ編成のバンドでありました。
僕の記憶によれば、僕が子供の頃、この「平凡アワー」をはじめ歌謡番組の公開収録などでは、必ず、ビッグバンドがステージ上に控えていたものでありまして、テレビで見ていた番組なども含め、思い出すままに書かせていただきますと、松本文男とミュージックメーカーズ、宮間利之とニューハード、岡本章生とゲイスターズ、有馬徹とノーチェクバーナ、高橋達也と東京ユニオン、森寿男とブルーコーツ、小野満とスイングビーバーズ、原信夫とシャープス&フラッツ、チャーリー石黒と東京パンチョス、スマイリー小原とスカイライナーズ、ダン池田とニューブリードなどの名前が浮かんでまいります。
この日のバンドの楽器編成でありますが、ステージの左側と右側にスペースが分かれておりまして、左側にドラムス、ギター×2、ベース、ピアノということでリズム系セクション、右側にパーカッション、シンセサイザー×2、そして、ブラス担当が一人で、このブラス担当の方は、クラリネットとフルートとサックスを一人でこなしていらっしゃいました。女性3人のコーラスも右側のポジショニングでありました。
最近は、少なくなったテレビの音楽系バラエティ番組でも、コンボ編成のことが多く、NHKの歌謡番組などで頑張っている三原綱木とニューブリードなど一部の例外を除くと、ほとんど、ビッグバンドが演奏するようなケースはなくなっているような気がするのですが、僕が知らないだけのことでしょうか。
そう言えば、紅白歌合戦なども、以前は、紅組と白組の演奏バンドが紹介されていたものでしたが、最近は、そのバンド紹介すらなくなってしまいました。紅白というと、紅組の伴奏をすることが多かったスイングビーバーズのバンマス・小野満さんの優しい笑顔が思い出されます。
テレビの音楽番組の場合も、例えば、ヒットパレードならスマイリー小原とスカイライナーズ、象印スターものまね大合戦ならチャーリー石黒と東京パンチョス、夜のヒットスタジオならダン池田とニューブリードといった具合に、ビッグバンドの名前がセットで記憶されているわけでありますが、TBSのロッテ歌のアルバムや歌のグランプリ、NHKのグランドショー、70年代以降の番組になりますが、日テレの紅白歌のベストテンやTBSのベストテンなどは、どのビッグバンドが演奏していたのでしょうか。
それから、そうしたビッグバンドと共に、ストリングスセクションで良く耳にしたのが「東京放送管弦楽団」という名前でありました。僕は、当時、東京放送というのはTBSのことで、TBSの管弦楽団が色々な歌番組に出ているのかと思ったりしておりましたが、きっと、そうではなくて、東京で放送を中心に活動している管弦楽団という意味だったのではないかと、今頃、思ったりしております。
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…ということで、またまた、余計な能書きが長くなってしまい、肝心の“「平凡アワー」スペシャル〜輝け!青春の歌謡コンサート2006ファイナル”の中身に入れないままでおりましたが、いよいよ、最初に登場した山本リンダさんのコーナーに移ってまいりたいと思います。
この日のコンサートでトップバッターを務めた山本リンダさんの1曲目は、1970年代に入ってから劇的なカムバックを遂げるキッカケとなった「どうにもとまらない」でありました。
玉置さんは、山本リンダさんの「どうにも止まらない」を「昭和47年の二度目のブレーク。アクション歌謡の源」と紹介されておりましたけれども、その「二度目のブレーク」に至るまでの道のりは並大抵ではなかったようであります。同時に、この「どうにもとまらない」の成功は、その後の阿久悠・都倉俊一コンビによるフィンガー5やピンクレディーといった1970年代から80年代にかけてのメガヒットグループ誕生への伏線でもあったわけであります。
阿久悠さんは、GS黎明期から初期にかけて、スパイダースの「フリフリ」のB面曲「モンキー・ダンス」やモップスの「朝まで待てない」などを手がけ、その後、北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」で鮮烈な阿久ワールドの端緒を作り、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」でレコード大賞を受賞して、作詞家としての地位を不動のものとされました。
山本リンダさんの「どうにもとまらない」以前にも、阿久悠・都倉俊一のコンビで井上順さんの「昨日 今日 明日」というヒット曲もありましたが、やはり、その後、70年代から80年代にかけて日本の歌謡界を席巻することになる阿久・都倉コンビの威力を強烈に世に知らしめることになったのは「どうにもとまらない」だったと言ってもよいのではないかと思います。
「どうにもとまらない」から「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」「きりきり舞い」などへと続いていく山本リンダさんのシリーズに始まり、フィンガー5の「個人授業」「恋のアメリカンフットボール」、さらには、ピンクレディーの「ペッパー警部」から「S・O・S」、「カルメン'77」「渚のシンドバッド」、「ウォンテッド」、そして、レコード大賞を受賞した「UFO」へと続く作品などは、遊び心に溢れた企画性の強い楽曲群として、恐らく、日本の歌謡曲史上においても、極めてユニークな地位を占めるものであることは万人が認めるところではないかと思いますが、その一方で、ペドロ&カプリシャスの「ジョニーへの伝言」や「五番街のマリーへ」など、J-POPの歴史に燦然と輝くエバーグリーンの名曲も、また、阿久&都倉コンビが残した珠玉の作品群の一角を占めているわけであります。
しかも、阿久作品ではありませんが、学習院大学の学生時代に中山千夏さんの「あなたの心に」のスマッシュヒットで鮮烈な作曲家デビューを果たしながらも、卒業に当たっては、就職するか、プロの作曲家になるか、迷っていた都倉さんにネーム入りの楽譜を大量にプレゼントして、作曲家になることを強く勧めたのが阿久さんだったというエピソードもあり、そうした経緯も踏まえると、山本リンダさんの「どうにもとまらない」という楽曲は、ご自身も「『困っちゃうな』のイメージを脱皮できない長年の苦労にブレークスルーをもたらした名曲」という趣旨のことをおっしゃっておられましたが、歌手個人の劇的なカムバックを実現したエポックメーキングな作品であると同時に、日本歌謡史における阿久・都倉というゴールデンコンビの存在を確立する契機ともなった記念すべき作品だったと言えるのではないかと思うわけであります。
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そんなことを考えながら聞いていた「どうにもとまらない」に続く2曲目は、山本リンダさんのデビュー曲である「こまっちゃうナ」でありました。
「こまっちゃうナ」がリリースされたのは1966(昭和41)年11月のことでありまして、発売したミノルフォンというレコード会社は、作曲家の遠藤実さんが1965(昭和40)年に太平住宅の経営者と一緒に設立したばかりでした。
手元にある『昭和流行歌総覧(戦後編)』という日本のレコード会社が発売したSPレコードを記録している労作によりますと、設立された1965(昭和40)年にミノルフォンから発売されたレコードは14枚でありまして、AB両面合わせて28曲が発表されているわけでありますが、すべての楽曲が遠藤実さんの作曲によるものとなっています。
その中には、後年「星影のワルツ」が大ヒットする千昌夫さんの「君が好き」「銀座かぐや姫」、浜田光夫さんの「青春津軽太鼓」「十八番おけさ」などという曲が入っておりますが、題名で際立っているのが、三船和子さんの「ベトナムの赤い月」「世界連邦太平洋音頭」という曲であります。
1965(昭和40)年には、ミノルフォンからはMA盤(45回転・ステレオ)とKA盤(45回転・ステレオ)という2つのシリーズが出ておりまして、KA盤というのが10月以降のリリースで、ただ1枚のMA盤である三船和子さんのレコードが6月の発売となっておりますから、新生レコード会社・ミノルフォンの記念すべき第一号レコードは、「ベトナムの赤い月」と「世界連邦太平洋音頭」のカップリングによる三船和子さんのレコードだったということになるようです。それにつけても、この強烈なインパクトの題名を持つこの2曲、是非、一度、聴いてみたいものであります。
ずっと前に、この「60年代通信」の「60年代の雑誌/懐かしの歌本の世界」というコーナーで、『月刊平凡』1967(昭和42)年2月号の歌本付録「平凡ソング〜新春・紅白歌合戦」に掲載されていた「レコード8社今月のベスト10」を紹介させていただいたことがありましたけれども、この時のミノルフォンの第1位が山本リンダさんの「こまっちゃうナ」で、田端義夫さんの「出世船」が第2位、三船和子さんの「他人船」が第3位ということになっておりますから、山本リンダさんのデビュー曲による大ヒットは、新生レコード会社・ミノルフォンの屋台骨を支えることになるような快挙でもあったのではないかと思われるわけであります。
また、ミニスカートが大流行していた当時、モデル出身のリンダさんは、『週刊平凡』をして「ミニをはかせたらリンダの右に出るモデルはいないと評判だ」と書かせしめておりますから、その日本人離れしたルックス(ハーフなんだから当然ではありますが…)と抜群のスタイルは、大ヒットした「こまっちゃうナ」とともに、一大センセーションを巻き起こしていたであろうことは想像に難くないわけでもあります。
僕の手元にある『月刊平凡』1967(昭和42)年7月号では、「『こまっちゃうナ』の大ヒットと18歳の誕生日を記念して」読者から募集していた「山本リンダのうたう歌」が「ミニミニ・デート」に決まったという記事が掲載されておりまして、それによりますと、なんと2万6542編もの応募があったそうで、その数の多さに驚くほかありません。
当時の『月刊平凡』という媒体の影響力の大きさと「こまっちゃうナ」のセンセーショナルぶりを偲ばせるに十分な記事というべきでありましょうか。
僕の手元には、この「ミニミニ・デート」という曲の楽譜も掲載されている『あの日・あの時・あの歌アルバム』という1968年1月8日発行の『週刊平凡・臨時増刊号』もあるのですが、それによりますと、山本リンダさんは、「こまっちゃうナ」の大ヒットを受けて、1967(昭和42)年10月には約3週間のアメリカ公演も行ったそうであります。
「ミニミニ・デート」という曲は、「こまっちゃうナ」ほどの大ヒットにはならなかったようですが、『月刊平凡』の募集歌といえば、この数年後には、ザ・タイガースの「花の首飾り」、森進一さんの「港町ブルース」なども大ヒットしているわけで、ちょっと、しつこいですけれども、『月刊平凡』のパワーに、今更ながら、脱帽であります。
話が大幅に横道へと逸れてしまいましたけれども、この「こまっちゃうナ」という曲も、ある意味では、「どうにもとまらない」に劣らず、昭和40年代前半におけるエポックメーキングな曲でありますから、キワモノ的な見方をされることも少なくない山本リンダさんの日本歌謡史における存在の大きさを、今回のステージで、改めて、思い知らされることにもなったのでありました。
山本リンダさん自身も曲間のトークで、「どうにもとまらない」の時は、NHKに「ヘソを出しちゃいいけない」と言われ、股上の長い特別なパンタロンを作ったり、「こまっちゃうナ」の時は、「リンダちゃん、スカート短すぎるんじゃないの」と言われたり、色々と苦労されたエピソードを披露されておりましたが、そういうイメージがキワモノ的な見方につながっているのかもしれませんけれども、改めて、「山本リンダ」という稀有な存在の歌手は、正当に評価されなければならないと思うわけであります。
既に、80年代から90年代にかけて、一連の企画CDなどによって、山本リンダという歌手を歴史に埋もれさせずに再評価しようという試みが繰り返されていたことにも、この場で、言及させておいていただきたいと思います。
ちなみに、山本リンダさんによりますと、今月(2007年02月)と来月(2007年03月)には、NHKラジオの今月の歌で「真夜中のピエロ」と「風のアンサンブル」という曲が流れるそうでありますから、皆さん、是非、NHKラジオを聴きましょう。
「どうにもとまらない」「こまっちゃうナ」に続き、リンダさんのステージ最後の曲は「狙いうち」でありました。
玉置さんは曲を紹介する際、「高校野球でこの曲を使わずに応援する学校はありません」というようなことをおっしゃっておられましたが、もともと、この「狙いうち」が高校野球の応援にも使われるようになったのは、玉置さんご自身の母校でもある明治大学の応援部が六大学野球の神宮球場で使い始めたことにルーツがあるわけであります。
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そう言えば、もう2年ほど前の話になりますが、明治大学にお世話になることになった長女の入学式で日本武道館へ出かけた際、入学式前のパフォーマンスが応援部によって繰り広げられ、リーダーが「山本リンダさん公認の応援曲」とか何とか言って、応援部のブラスバンドがこの「狙いうち」を演奏し、日本武道館の会場全体がノリノリの雰囲気になったものでありました。
僕自身、神宮球場で繰り返し聞かされた「狙いうち」の♪ワセダを倒せ、メイジ♪のフレーズは、今も、鼓膜にしっかりと焼き付けられております。
そういえば、「どうにもとまらない」や「狙いうち」など一連のシリーズを作詞された阿久悠さんも明治大学のOBでいらっしゃるのでありました。
…ということで、今回は、第一部で登場した山本リンダさん、辺見マリさん、三田明さんのお三方を一気に紹介させていただくつもりだったのですが、毎度のことながら、前置きとリンダさんの部分だけで、かなり長くなってしまいましたので、辺見マリさんと三田明さんは、改めて、次回の更新で紹介させていただくことにします。
皆様、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
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