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「60'sえれじい」
Back Numberのページ その10


2009.06.14(日)
2009.02.22(日)
2009.01.02(金)



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2009年06月14日(日)

 皆様、今晩は。
 毎度のことではありますが、前回、この駄文コラムを更新させていただいてから、あっという間に3カ月以上が経ってしまいました。
 相変わらずフリーランスという名の失業状態が続き、平日も土日祝日も関係ない「ビンボー暇なし」の日々を繰り返し、各方面で義理を欠かざるを得ないような情況に陥っているような次第です。
 先日は、1999年10月の開設以来、綿々と続いてきた掲示板が2週間近くにわたって閉鎖状態となってしまうという最悪の体たらくとなってしまいました。
 情けない話でありますけれども、前回は、掲示板の契約期間を3年で設定していたため、契約更新通知メールが2年くらい前にサービスを停止したプロバイダーのメールアドレス宛に送られてきていたため、契約更新と料金支払いの手続きを期限内に行うことができず、掲示板が一時閉鎖状態に陥ってしまったのでありました。
 掲示板の方では、管理者宛ての注意喚起メッセージも表示されていたようでありますが、冒頭でも書かせていただいた通り、ここ数カ月、自分でも信じられないような「ビンボー暇なし」状態に陥っていたため、掲示板のページを開くことも全くないまま、3カ月以上が経過してしまったというような次第でした。
 掲示板の常連の方から「一時閉鎖状態になっているぞ」とお叱りのメールを携帯アドレス宛にいただき、慌てて契約更新と料金支払いの手続きをとったものの、掲示板の再開までには2週間近くかかってしまったようでありました。
 今後は、こういうことのないよう、掲示板のチェックもこまめにさせていただこうと思っておりますので、皆様におかれましては、引き続き、よろしくお付き合いいただきますようお願いいたします。
 掲示板もさることながら、こちらのホームページ本体の方も、この駄文コラム以外は、もう丸2年以上にわたってデータ更新ができていない状態が続いておりまして、本当に、何とかしなければと、今更ではありますが、危機感を募らせている今日この頃ではあります。
 ホームページのデータ更新をしてこなかった2年の間、自分の中では、あのテーマやこのテーマでデータ更新をしたいという気持ちは色々とあるにも関わらず、公私ともに十分な時間を割くことができないような状況が続き、物理的に時間が割けないだけでなく、精神的にも、ホームページを開設した当初の頃のような気力というか意欲が薄れてきてしまい、なかなかモチベーションが上がってこない状態のまま、時間ばかりが過ぎてしまったというような次第です。
 先日、「60年代通信」のコーナーの一つである「テツオの部屋」の主であるテツオ君からも「テツオの部屋」の再開に向けた決意表明のメールをもらい、木曜日の夜には実際に会って色々と話をしてまいりまして、データ更新への決意を新たにさせていただいてきました。
 この週末は、久しぶりに時間的には余裕があったものの、積もり積もった疲れのためか体調がすぐれず、予定していた「掲示板バックナンバー」のページや取り壊しが始まった長岡厚生会館の企画ページなどには手が付けられなかったため、日付が月曜日に変わってから、何とか、この駄文コラムだけでも更新しようと老体に鞭打っているような次第であります。
 ということで、今回も、また、空しい言い訳だけの駄文コラムとなってしまいましたが、何とか、態勢を立て直すべく、努力を続けてまいりたいと思っておりますので、皆様におかれましては、この疲れ切ったオヤジを見捨てることなく、引き続き、気長にお待ちいただきますよう、改めまして、お願い申し上げる次第です。
主宰者敬白




2009年02月22日(日)

 皆様、今晩は。
 年明けに、この駄文コラムを更新させていただいてから、あっという間に2カ月近くが経ってしまいました。
 その正月2日には、懲りないバカオヤジでありますので、「今年こそ、せめて、この駄文コラムだけは、毎週…は無理としても、隔週ペースで最低でも月2回くらいは更新するぞっ」と力強く誓ったつもりだったのに、やはり…と言うべきなのでしょうか、その誓いは僅か数週間で儚くも破られてしまったのでありました。
 仕方がないので、とりあえず、月に一度は…ということで、誓いのハードルを低くさせていただき、気を取り直して、この駄文コラムに取りかからせていただく次第であります。
 本来であれば、1カ月前に書かせていただくべき話でありますけれども、1月22日の夜にNHKホールで行われた「BS永遠の音楽〜グループサウンズ大全集」の公開収録を拝見する僥倖を得ましたので、2月27日の放映に先立ちまして、その報告をさせていただきます。
 この公開収録を見せていただいたのは、僕の記憶が正しければ、9年前の立川市民会館、昨年のNHKホールに続き、今年が3回目ということになるのではないかと思います。
 思い返すと、1回目の時に赤いジャケット姿でステージ狭しと元気にはね回って歌っていたカーナビーツのアイ高野さんは既に数年前に他界され、昨年は収録前にモップスの鈴木ヒロミツさん、今年はゴールデンカップスのデイブ平尾さんと、相次いで旅立たれてしまい、GS全盛時代に活躍されていたメンバーの皆さんが年を追う毎に欠けていくのは、GSリアルタイマーとしては、本当に淋しい限りです。
 さらに、今年は、当初、出演を依頼されていたスパイダースの井上尭之さんが「昨年限りで完全引退」ということで出演を固持されたという事情も収録の冒頭で案内され、あのシュアなギターを拝聴することができなかったのは、返す返すも残念でありました。
 既に、放映されるNHK衛星放送などのチャンネルでは番組の宣伝も始まっており、ブルーコメッツやワイルドワンズ、スペシャルゲストとして登場された加山雄三さんなどの姿が露出されておりますが、改めて、出演された皆さんを順に紹介させていただきますと次のようなラインナップでありました。
 オープニングの出演者全員による「ツイスト&シャウト」の後、今回のトップバッターはジャッキー吉川とブルーコメッツ、続いて、ブルージーンズ、バニーズ、さらに、フルメンバーではありませんでしたが、パープルシャドウズ、オックス、ダイナマイツ、ビーバーズ、ガリバーズ、ジャガーズのヒット曲メドレー。そして、ハプニングスフォー、ワイルドワンズ、スペシャルゲストの加山雄三さん、デイブ平尾さんを偲びつつゴールデンカップス、それから、松崎しげるさんによるタイガース、テンプターズ、カーナビーツ、スパイダースなどのヒット曲メドレー、最後は、出演者全員による「ダンス天国」でフィナーレという流れでありました。
 ブルーコメッツは、こういうステージでは、恐らく初公開だったのではないかと思いますけれども、昭和43年にエド・サリバンショーに出演した際の冒頭に琴のアレンジが入る「ブルーシャトーUSAバージョン」を最初に演奏し、最後を「青い瞳」で締めるという通常とは異なるセットで、「マリアの泉」も再結成後のNHKでは初めてだったような気がします。ここだけの話ということで書かせていただきますと、最後の「青い瞳」は機材トラブルで小田さんによるハモンドの音が出ず、改めて演奏するというハブニングもありました。
 ブルージーンズのステージでは、メンバーの後方に夥しい数の大型スピーカーが置かれ、荻野さんが「後ろのアンプの数を見てください。寺内さんのギターの音しか聞こえません」とグチっておられましたが、寺内御大は「ベートーベンから電話を貰った」とか「ブルコメは明治時代から演奏している」とか、相変わらずのホラ話で会場を煙に巻いておりました。
 オックスの真木ひでとさんは、恐らく、NHKのGS番組では皆勤賞ではないかと思われますけれども、今年のステージは客席からの歓声がこれまでで最も大きく、“失神バンド”と異名をとった往時を思わせるものがありました。「スワンの涙」でお約束の「いーつーかーきみぃーがぁー」と歌いながら腕を捻って指さす場面では、僕が座っていた席の後方から「キャー」という凄まじいばかりの歓声があがり、思わず、そちらの方を振り返ってみようかと思いましたが、僕が失神することになるかもしれないと思い、自重させていただきました。
 ステージの背景は「イエイエ」のCMを思わせるサイケ風なデザインが描かれていたりして、当時の雰囲気を醸し出そうという努力と工夫も感じられましたけれども、その一方で、今年の司会者は二人ともGSリアルタイマーではない若い世代だったため、時代とともに世代交代も進んでいって、社会現象という言葉では収まりきらないような凄まじいブームだったGSの熱気も、だんだん世の中的には歴史の彼方に埋没していってしまうんだろうなぁという感慨に襲われてしまったのも事実であります。
 昨年はモト冬樹さんと西口久美子さんという、どっぷりGSリアルタイマーの二人が司会だったので、彼らのお話も含めて十分にあの頃の雰囲気を堪能することができ、そういった感慨はあまり感じずにすんだのですが…。
 この「60年代通信」でも、GSに関連するページは、10年以上前にサイトを開設させていただいた頃から何度か作らせてきていただいておりますけれども、ここ数年、というか、もう、ひょっとする10年近い間かもしれませんが、ブルコメはもちろん、GS関連のコンテンツは、ほとんどアップさせていただいておりませんから、また、改めて、あの時代の熱気をそのまま伝えられるようなページを作らせていただかなければと、思いを新たにさせていただいているような次第であります。
 などと書かせていただいたところで、また、ページ更新など何時になることやらというのも実情でありますから、とりあえず、皆様におかれましては、2月27日(金)の夜にNHKの衛星第二放送で放映される予定の「BS永遠の音楽 グループサウンズ大全集」をお見逃しなく、ご覧いただきますよう御案内をさせていただきつつ、一応、「60年代通信」におけるGS関連コンテンツの更新も乞うご期待!!!と、ビックリマークを3つも打たせていただき、今日のところは、これでお開きにさせていただこうと思うわけであります。
 それでは、皆様、今後とも、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
主宰者敬白




2009年01月02日(金)

 皆様、あけましておめでとうございます。
 超低空飛行を続けている情けないホームページでありますが、今年も、何卒、よろしくお願いいたします。
 昨年の秋、本当に久しぶりに、この駄文コラムを更新させていただいてから、有り難いことに、古参の読者の皆様や御無沙汰してしまっている友人・知人など、何人かの方から「祝・生存」メールを頂戴し、改めて、この駄文コラムが、極貧のあまり存亡の危機に晒されているビンボー暇なしオヤジの「生存確認」連絡帳的な意味合いを持っていることを認識させていただいたような次第であります。
 前回も言及させていただいたように、昨年の夏から晴れてフリーランスの身となったわけでありますが、フリーはフリーでも「自由」というよりは「無料」あるいは「獄につながれていない」というような意味合いに近いというのが実情でありまして、50代も半ばだというのに悲惨きわまりない事態が続いております。
 年も改まって、今年は、何とか、この閉塞状況を打開すべく、老体に鞭打って頑張らねばと、決意を新たにしているところではあります。
 などと書かせていただきつつ、この駄文コラムも、ここのところ、「60sえれじい」というタイトル通り、哀れで惨めなビンボーオヤジの嘆き節ばかりが続いておりますので、今年からは、同じ駄文は駄文でも、もう少し「60年代通信」の趣旨に沿うような内容にさせていただくべく、努力をしてまいりたいと考えさせていただいております。
 本来であれば、年末に書かせていただこうと思っていた話でありますが、皆さんもご存じの通り、昨年の暮れをもって、新宿コマ劇場が、その歴史に幕を降ろしました。
 新宿コマ劇場が閉館となった経緯については、その公式サイトで次のように説明されています。
 「昭和31年12月の開場以来、皆様に格別のご愛顧をいただいております『新宿コマ劇場』ですが、弊社と東宝株式会社との間で新宿区歌舞伎町一丁目19番1の再開発事業に協同して取り組む事に合意いたしました事により、平成20年12月末日をもちまして閉館することになりました」
 「9月の『北島三郎特別公演』をもちまして、『新宿コマ劇場』に於きます株式会社コマ・スタジアムの自主制作・自主興行は幕を降ろす事になります。以降は12月末日まで共催公演の制作販売、貸館等での営業を続けてまいります」
 ということで、ご覧になられた方も多いのではないかと思いますけれども、大晦日にテレビで放映された恒例の「年忘れにっぽんの歌」が新宿コマ劇場での最後のステージとなったのでありました。
 新宿コマ劇場の運営会社名である「コマ・スタジアム」という表記を見て思い出しましたが、新宿コマ劇場は新宿コマ・スタジアムとも呼ばれていたのです。
 僕も、かつて、美空ひばり公演と島倉千代子公演を新宿コマ劇場で見たことがありますけれども、なだらかな傾斜で奥行きと広がりを感じさせる客席は、確かに「スタジアム」と呼びたくなるような独特の空間を作り出していたものであります。
 1981年に姿を消した日劇が円筒形の建物で客席の傾斜が急な垂直的広がりだったのとは好対照で、球場に例えると、コマ劇場が甲子園で日劇が後楽園というような感じだったということでしょうか。
 それにしても、僕が上京してきた1970年代半ばの頃、地方都市から花の都に出てきた人間にとって、有楽町の日劇と浅草の国際劇場、そして、新宿のコマ劇場は、大衆芸能の三大殿堂というようなイメージで、その大ホールだけでなく建物の周辺も含めて、まさに目くるめく夢空間ともいうべき強烈なイメージを持っていたものであります。
 歌謡曲大好き少年だった僕は、上京してきた翌年の正月には、日劇で布施明ショーを見たり、国際劇場で森進一ショーを見たりしたのでありました。日劇では、その年から3年続けて布施明ショーを見ましたし、国際劇場では、2年続けて森進一ショーを見ました。昭和51年の布施明ショーには、ゲストとして「木綿のハンカチーフ」が大ヒットする前の太田裕美さんが登場しており、ほどなく、太田裕美さんの追っかけもどきを始めることになった僕にとって、当時、隠し録り(とかいいつつ、3階席の最前列にカセットデッキをでんと据え、ステレオマイクをスタンドに立てて録音していたので、今に思えば、良く何も言われなかったものだと、冷や汗ものでありますが…)をしたテープは貴重な宝物でありました。幼稚園児の頃からお片付けが大の苦手で、「栴檀は双葉より芳し」あるいは「三つ子の魂百まで」の言葉通り、整理整頓が全く出来ないまま五十路を迎えてしまった悲しいオヤジなので、そのテープは今、一体、どこにあるのか、全く分からなくなってしまっておりますので、いつか、発掘に成功したいものであります。
 話が横道に逸れてしまいましたが、日劇では、さらに、小柳ルミ子さんとアグネス・チャンさんのジョイント・リサイタルのような構成のステージを見た記憶もありますし、我がジャッキー吉川とブルーコメッツをはじめ、スパイダースやタイガース、ワイルドワンズなど、人気GSが復活結成された「さよなら日劇・最後のウエスタンカーニバル」には、就職浪人中にも関わらず、三日間通い詰めてしまったりしたのでありました。
 国際劇場では、森進一ショーのほかに、天地真理ショーも見た記憶があり、こちらは「気になる17歳」でデビューして間もない頃のあいざき進也さんがゲストで、銀色のジャンプスーツを着て、颯爽と登場したのを覚えております。
 あ、そうだ、今、思い出しましたけれども、学生時代には、所属していたサークルの先輩に連れられて、なぜか、国際劇場で開かれた「社会主義インター日本大会」みたいなイベントに行ったこともありました。
 そして、新宿コマ劇場では、学生時代にお袋と一緒に島倉千代子公演を見せていただいたほか、この「60年代通信」では「テツオの部屋」という、もはや、忘れ去られてしまったに違いないコーナーを担当していただいていることでお馴染み(?)のテツオ君と一緒に美空ひばり公演を見にいったりしたのでありました。
 国際劇場や日劇、コマ劇場などの公演パンフレットは、すべて何処かに保管してあるはずでありますので、これらにつきましても、発掘に成功した暁には、是非、この「60年代通信」で紹介させていただきたいと思います。
 ということで、新年早々、毎度のことながら、ダラダラと長いばかりの文章を書かせていただいておりますが、この駄文コラムの更新頻度を高めることが、まずは、皆様に待望(?)いただいている「60年代通信」復活への確かな道しるべということで、ご容赦をいただければと考える次第であります。
 言い訳をさせていただきながら、さらに、駄文を続けてさせていただきます。
 コマ劇場が、その半世紀を超える歴史に幕を下ろしたという事実は、前述させていただいた通り、1970年代半ばに田舎の地方都市から上京してきた少年にとって、日劇と国際劇場がもうずっと前に姿を消した後、大衆芸能の三大殿堂の中でただ一つ残されていた花の都のシンボルが失われてしまったことになるわけで、本当に淋しい限りであります。
 新聞報道などによりますと、最盛期には年間100万人もの観客動員を誇ったコマ劇場ではありますが、最近は演歌人気の低迷もあって観客数の減少に歯止めがかからず、閉館を余儀なくされる事態に至ってしまったそうであります。
 そういえば、美空ひばり公演を見に行った時も、島倉千代子公演を見に行った時も、既に「演奏中の入場は固くお断りします」というような時代だったにも関わらず、ステージの状況などとは全く関係なく、団体客が平気で出たり入ったりしているのを見て、驚いたものでありました。今に思えば、このコマ劇場での美空ひばり公演や島倉千代子公演は、都内を回る「はとバスツアー」の定番メニューに入っていて、あたかも、有名観光地を回るような感覚で、コマ劇場の公演が位置づけられていたりしたようであります。
 高度成長時代に大型の団体客で賑わった日本各地の有名温泉地が、個人化あるいは小グループ化する旅行市場の変化への対応で後手を踏み、軒並み閑古鳥が鳴いてしまっていることも想起される話であり、単に演歌人気の低迷だけでなく、世の中の大きな変化の中で、大衆芸能の殿堂的位置づけの大劇場も、その歴史的使命を終えてしまったということなのかもしれません。
 僕も中学3年の修学旅行で東京に来た際、300人を優に超える学年全体で浅草の国際劇場で松竹歌劇団のレビューを見せていただいたものでありましたが、修学旅行も学年全体どころか、一クラスを細分化してグループ行動するような時代になっているわけでありますし、地方から団体旅行で東京にやってくる旅行者も激減しているであろうことを考えると、コマ劇場の閉館というのも止むを得ない事態なのでありましょう。
 というか、今、ネットで調べてみたら浅草の国際劇場が閉館したのは1982年の4月だそうでありますから、1981年2月に閉館した日劇の翌年ということになるわけで、僕が勝手に名付けさせていただいた“大衆芸能の三大殿堂”にあって、新宿コマ劇場は「よくぞここまで頑張った」と言うべきなんだろうという気もします。
 暮れには、先頃、国民栄誉賞の贈呈が決まった作曲家の遠藤実さんが亡くなられたばかりであり、昭和30年生まれのオヤジにとっては、改めて「昭和は遠くなりにけり」を実感せざるを得ない2009年の年明けということになるわけであります。
 ということで、改めて、昭和30年代半ばから昭和40年代半ばまでをコアとする期間限定ではありますが、インターネットというサイバースペースに昭和という時空の再構築を目指す「60年代通信」の不埒で無節操な主宰者として、ホームページの更新に励ませていただくことを年頭の誓いとしてお約束させていただき、新年のご挨拶に代えさせていただければと思う次第であります。
 それでは、皆様、今年も、というか、今年こそ、何卒、よろしくお願いいたします。
主宰者敬白






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